鉄コン筋クリート

鉄コン筋クリート (1) (Big spirits comics special)鉄コン筋クリート (2) (Big spirits comics special)鉄コン筋クリート (3) (Big spirits comics special)


……他の人はこの映画をどう評価してるのかな〜、と思いサイトめぐりをしていると、
原作既読派の人が口をそろえて「いま一歩足りない」みたいな感想なので、原作に手を出してみることにしました。


一巻「え?」
二巻「おっ!」
三巻「おおおおっ!!!」


って感じでした。
二巻までは原作を上手く消化し、とても効果的な見せ方をしているなぁ、と感心。


以下、ネタバレあり

問題は、ですね。
三巻の後半……
ってかふざけんなこの映画監督! アホか! なに考えてる! 一番重要で大切な部分だろ!? って叫びたくなりましたよ。 
あれだけ素晴らしい魅せ方をしておいて、最後の最後であの体たらく……!
映画で納得いかなかった部分や、「ちょっとなぁ」と感じてた部分が、漫画ではかなりきっちり納得できます。
ホント、三巻後半部分だけ美術監督が作ったんじゃないかと思えるほど、原作に忠実だった路線がここから外れています。
この箇所は、幻想色・アートの色合いの強さとか、製作者のエゴむき出しさ加減とかが酷いです。
それまでが本当に素晴らしかっただけに、「なぜ!」と叫びたくなりました。


ラストの締め方も、映画とマンガではまったくの別物。
登場している単語は同じですが、込められてる意味が正反対。
原作であるマンガは、しっかりとこちらの胸に届きます。映画では、ぽいっと放り出して「受けるも受け取らないも自由だよん」みたいな鷹揚さ。
アレを見たとき、私はまだ原作未読だったので「ああ、これはキャッチコピーをちょっと捻った言葉なんだな」としか思いませんでしたよ。
あれだけ! あれだけ重要な単語が!


本当に最後の方、どうして描かないのか、どうしてすっ飛ばしたのか分からない箇所が多々あります。
たとえば林檎の芽が出る箇所。
あれを事前に知っているのといないのとでは天と地ほども違うのに、なぜに映画ではクレジット場面でしか使われていないのか。
あれは、クロが手にした唯一無二の証拠物件じゃあないですか。
シロが心底信じ、クロが心底信じてなかった部分の生きた差異であり、シロが信じるに足る相棒であるという何よりの証拠。
「俺はシロを信じる」って言葉だけよりも、「この町で林檎が芽を出した」って事実の方が、何倍も説得力があると思うのですが。

削った理由がなにかあるのかもしれませんが、ちょっと、あまりにも納得できませんでした。


イタチの扱いもかなり微妙。
最後まで牛の面を被ってましたしね。
マンガではちゃんと面を外しクロそっくりの顔を見せることで、これは幻覚であり、クロの暗黒面なんだということをはっきりさせてますが、どうも映画ではその辺をボカしているように思えます。
(それとも取っていたでしょうか。映画のあの辺り、あまりに抽象的というかサイケデリックで、歪んだ牛仮面のイメージしかないんですが)


どうも映画版のイタチは、まんま悪魔とか超常的存在として扱われており、話自体もここから現実を大きく超えてるように見えます。
たしかに原作にもそういった側面があることは確かですが、それでもきっちりと「現実的に説明がつく範囲」で話を終えているのに対し、映画ではまったくの投げっぱなしの超常現象バンザイに……
この辺のさじ加減が、どうも大きく異なっているように感じました
おとぎ話ではなく、神話とかファンタジーとかのレベルに突入してます。



…………うーん、つらつらと文句を並べていますが、もちろん映画としては素晴らしいです。今更なんだと思われるかもしれませんが、そこらの薄っぺらなアニメ映画より百倍いいです。全体的に緩んだシーンなんてありませんし、いわゆる芸術面から見れば100点満点なんでしょう。

ただ、映画で「ちょっとなぁ」と思った箇所が、マンガではもっとも感銘を受けた箇所だっただけに。とてつもなく惜しいと感じるんです。
一二巻の部分では映画が、三巻ではマンガが、それぞれ圧倒的に好きでした。