よつばと! 6 (6)

よつばと! (6) (電撃コミックス)

よつばと! (6) (電撃コミックス)


あー、よくよくあることではありますが、本、マンガ、小説などなど個人で読めるものって、その時の状況が大きく作用しますよねぇ。
いえいえ、実は、昨日読んだ時点では「……なんだ、つまらん」とか思ってたんですよ、この本。
今日、読んでみました。
なんだこの傑作は! 昨日の私は馬鹿か! 馬鹿だったのかー!


うん、きっと、その直前に読んでいた本との食い合わせが悪かったんでしょうけどね。
ヤングガン・カルナバル愛しき日々、やがて狩の季節
この二つ、梅干とウナギ以上に食い合わせが悪かったです。
というか続けて読んだ私が馬鹿だ。


あずまんが大王もそうだったですが、これも読み返してしまう回数が、もう半端じゃないです。
読み終わった後に、なぜか自動的に最初の一ページに向かってしまう。
終わったらもう一回、その次は前巻を手に取る。
分かりやすい面白さがあるわけではありませんし、ストーリーに起伏があるわけでもない、なのについつい読んでしまう。
この面白さを他の人に説明するのは、かなり厳しいです。

無理矢理言葉にするとしたらノスタルジーなんでしょうが、これも、なにかが違う気がします。
言葉として強すぎるというか、そうした感情を、作者であるあずまきよひこ氏が無理矢理作り出してるとは、まったく思えません。
そうしたノスタルジーを感じるのはあくまでも読者であり、作品中には「こうしてやろう」といった作為や不自然さは無く、それどころかむしろキャラクター以外の描写は出来る限りリアルに、いまの日本の生活に近く描こうとしてるように見えます。


ただ自然によつばが生活し、それに読者があれこれ共感し、笑ってしまう。
そんな、とても幸せな関係なのでは。




ちょっとネタバレ
たとえばp170の、よつばが泣き出す直前といった表情のコマ。
このシーン、めちゃくちゃお気に入りなんですが、その直前に父ちゃんが叩いた時もその後も、説明書きが一切無いんですよね。
ただ絵や表情だけで、表現しようとしている。
だからこそ、読者がそこに自由に意味づけができてしまう。


私としてはこの場面、
ぜんぜん悪いことなんてしてなくて、それどころかやっとこさ牛乳配達できたのに、どうして父ちゃんは叩くんだ!?
と、よつばが思ってるシーンだと考えるわけですが、
他の人だとまったく違う場面だと考えることでしょう。
百人いたら百通り。

こういった説明の無さも、『よつばと!』の魅力のひとつだなぁと思います。